7月17日、寒川・茅ヶ崎浜降祭(後編)

前編に引続き、浜からの還御および萩園三嶋大神の町内廻りの様子です
なお、前編は下記URLをクリックいただけるとご覧になれます
http://www6.ocn.ne.jp/~hirakyuu/repo/repo06/hamaori.html


寝坊してしまい浜からのお立ちには間に合いませんでした。既に中島、柳島もお立ちとなっていました



鶴嶺四社は竹で作られた鳥居を既にくぐり、砂浜を渡御しています。ちなみに鶴嶺四社の神輿は海に入りません
浜之郷鶴嶺八幡宮、矢畑本社宮、西久保日吉神社、円蔵神明大神宮の順番に進んでいきます
 
 


祭典委員の櫓の前からは萩園三嶋大神と並んで進みます。萩園の輿も円蔵と同じく二宮にて制作され
制作時代および作者は違うものの、兄弟神輿のように扱われているとか



いよいよ右に曲がり浜から離れていきます。華棒には萩園太郎君も入ってくれました
 


だいぶお疲れ(?)のマナブくんも何度も華棒担いでいただきました。この後も南湖通りで肩を貸していただき
大変助かりました。萩園の輿もまだまだ一緒に進んでいきます
 


国道を渡る際、再び二基が並びます。この後萩園はトラックに乗せるため西浜駐車場へとお別れです。また来年!



円蔵は最後まで担いで還御します。南湖踏切の手前にて。担ぎ手はかなり減っています
踏切待ちでは例年同様ウマを入れました。ここからが本番の開始です



まず最初の休憩は、浜之郷TBS内の公園にて、同じく最後まで担いで帰る矢畑本社宮さんと
矢畑の輿は昭和53年、浅草は岡田屋にて制作されたタッパのある大型神輿です
  


鉄砲通りで神輿をトラックに乗せた後、途中まで円蔵の神輿を担いでいただいた西久保の方々
ここからは西久保も担いで還御するとのことで、二基並んで一揉みした後お別れです。また来年!



西久保の方々が抜け、さらに担ぎ手不足状態です。私もほぼ華棒要員でした。たまにはひやっとする場面も



本当に華棒は数人にてローテーションです。向かって左端の神圓会Kさん、芯出しをする茅駒睦さん
向かって右華棒を担ぐ円蔵のMさんに加え、田村のKさんと私の5人ほどで大型の輿を支えます。一度華棒に入れば
二度と抜けれません。名言「鈴禁止」も生まれました(笑)



なんとか無事に神社へと戻ってきました。最後の力を振り絞り境内を三周します



神圓会Kさんも芯出し、華棒と最後まで休みなく担ぎます



最後は氏子総代さんの挨拶の後締めにて円蔵神明大神宮の浜降祭終了となりました
円蔵のWさん始め、Mさん、神圓会Kさん、茅駒睦さん、田村Kさん、本当にお疲れ様でした
また、今年も担がせていただいた円蔵のみなさん、おめでとうございました。また、ありがとうございました



すでに体は限界でしたが、萩園太郎くんや奥様の実家が萩園という田村Kさんに誘われ
萩園の町内廻りを見に行ってきました。産業道路を元気良く進む神輿と合流です



萩園三嶋大神神輿。昭和25年、二宮又友大工作。鳳凰の羽が水平に伸びており、素木造り、環の受けが低いなど特徴があります



途中、氏子宅等神酒所に寄りながら広い町内を廻っていきます。その後神社前のバス通りに出た神輿は
練習用万灯神輿と並び通りを通行止めにしながら宮入に向け進んでいきます
 


いよいよ宮入です。まずは万灯神輿が鳥居をくぐります。境内では女性により子供神輿も担がれだしました
 


神社神輿も宮入し、三基で並びながら境内を三周(以上?)します
 


大いに盛り上がり宮付となりました。萩園の皆さん、おめでとうございました
萩園も円蔵も、氏子中心の渡御で非常にアットホームでこれぞ「おらが神輿」といった雰囲気での渡御でした
各社にて参加されたみなさん、お会いできた方、出来なかった方もいらっしゃいますが大変お疲れ様でした





'06祭時紀に戻る
inserted by FC2 system